東京湾のハゼ釣りといえば、江戸のころの初夏から秋の風物詩です。
浅草・荒井文扇堂四代目社長の荒井修さんの『江戸・東京 下町の歳時記』(集英社)に描かれる江戸の匂いに魅せられて、初のハゼ釣りを体験してきました。
ハゼって見たことありますか?
7月頃から10月頃までの季節は、冬に生まれたハゼが釣りどきを迎えます。岸の近くで釣れるため、針を遠くにまで投げなくても簡単に釣れます。
2021年には上皇様がハゼの新種を発見されたことでも話題に上がりましたが、ハゼは日本だけで200種、世界には2000種以上棲息しているのだそうです。中でも最も多いのが”マハゼ“。天ぷらや唐揚げ、甘露煮などで食べるととても美味しい魚です。
江戸前ハゼ復活プロジェクトとは?
今回、ハゼ釣りを教えて下さったのが弦本秀矢さん(通称 つるちゃん)。
国内添乗員の資格を持つ弦本さんは、釣り歴30余年。東京湾の船釣りを始め、神奈川での磯釣り、淡水のフナ釣りなどの楽しさを実際の体験を通じて多くの人たちに届けています。
そして、このハゼ釣りは”江戸前ハゼ復活プロジェクト“の一環です。
江戸前ハゼ復活プロジェクトとは、官民連携のハゼ生態調査のこと。一般財団法人東京水産振興会が始めたプロジェクトで、国土交通省が行う東京湾再生推進会議の東京湾一斉調査に登録されているものです。
江戸の頃は7〜10月になると、男女若老問わず、たくさんの人が東京湾でハゼ釣りを楽しんでいたのだそう。近場で簡単に釣れてしかも美味しい! そんなハゼ釣りは江戸の秋の風物詩でした。実際、昭和30年代の東京湾葛西沖でハゼ釣り船が賑わっている写真も残っています。
ところが近年はそんな風景も無くなり、ハゼがスーパーや魚屋でも並んでいるのを見かけることもありません。
じつは1960年ほどからマハゼの棲息地や個体数が急激に減ってきてしまったのだそうです。(参考:1960年1億匹→2000年100万匹)この理由として考えられるのが、埋め立てなどによって生息場所や産卵場所、エサがなくなったことや水温の上昇など…要因が単純ではないことから、産卵場所や時期などハゼの生態を明らかにすることで、どのようにしてハゼ…そして、江戸からの風景を残していくかを考えることが、このプロジェクトの目的です。
ハゼを釣ってみる
“江戸前ハゼ復活プロジェクト“でわたしたちがすることは難しいことではありません。ハゼ釣りをして、30匹釣れるまでに要した時間を報告するだけだそうです。報告も弦本さんがしてくださるので、私たちは2時間半、思い切りハゼ釣りを楽しむだけ。(すみません…笑)
まず、針にエサ(ホタテ)をつける。投げる。浮きがおもりの重さで沈む。ピクっと引いたら一気に釣り上げる。
釣りが初心者のわたしでも、次から次にハゼが釣れる釣れる…
大満喫でした。
昔からハゼ釣りは”子供か老人の釣り“といわれるぐらい簡単なもの。一方で”海釣りはハゼに始まり、ハゼに終わる“と言われるぐらいに奥深く、生涯を通じて取り組む人がいるほど面白い釣りなのだそうです。
ハゼを唐揚げにしてみる
そんなハゼですが、食べると”とっても美味しい“んです。
江戸の頃には、品川などで釣り上げたハゼを屋台で天ぷらにして食べさせてもらえたのだそうです。そして、何匹かは自宅に持ち帰ります。焼いてカチカチになるまで干して”焼きハゼ“として年末まで保存し、お正月の雑煮の出汁に使ったのだとか… 豊かな江戸の風景を羨ましく思いますよね。
今は東京でハゼ雑煮が食べられるお店もありません。とても残念なことですが、宮城県では焼きハゼを出汁に使ったハゼ雑煮が残っているそうですので、いつか出かけた際には食べてみたいものです。
今回釣ったハゼは自宅に持って帰り、唐揚げにしました。
秋の彼岸を過ぎた頃にハゼはとても大きくなりますが、今回は夏のハゼ釣りでしたので、大きいものでも11cm。ほとんどが6〜8cmほどの小さなハゼでしたので、骨ごと食べられました。頭には針が入っていることがあるとアドバイスを受けていましたので、頭と内臓だけを取り除いて片栗粉をつけて揚げました。
仕上がりはサクサクと軽く、骨も当たりません。カレー塩で食べましたが臭みがあったからではありません!
秋分の頃にまた行けたらいいなあと…すっかりハゼ釣りの虜になりましたよ。
釣って食べるまで…半日のハゼ三昧でした。
弦本さん、大変お世話になりました!
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